202. 「戦争はまだ終わっていないうちに、災害がきた」―天災と人災― (2024年3月号)

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵入しもう2年近くなる。ロシアが甘く見てすぐにウクライナを占領できると読んだが、欧米の支援を得てウクライナも反撃し戦争は硬直した。両者とも死傷多数を出し、互いに疲れ果てた。しかし今更、引くにも引けず困窮状態に至っている。そのうちイスラエルとガザ地区にまた戦争が始まった。中東戦争の再燃である。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒など異教徒同士で互いに争い、1940年台から70年以上続いている。さらに2000年以上も前、「異教徒が襲ってくる」ので、人々は地下にもぐりこみ地下国家を作った(カッパドキア)。私は40年以上前、カッパドキアに行ってみた。今は観光の名所になっている、しかし昔、異教徒が攻めてくる危険性は常にあり、人々は地下に潜った。

 私は50年以上も前、カナダ・アメリカに留学したが、国によって人の性格が随分違うという事に気が付いた。日本人はあまりイエスやノーをはっきり言わないが、米国人はイエスやノーがはっきりしている。自分が正しいと思ったら、それを大げさに表現する。一方日本人は遠慮がちに話をする。国によって性格が変わるので、いざこざや誤解も起こる。

 昔は日本でも、近くの部族同志の喧嘩があり、勝ったものが勢力をひろげ、地方に豪族が生まれた。上杉謙信と武田信玄の争いはこの例である。上杉謙信は、戦いに負け、会津を通って、米沢に封入された。米沢の上杉御廟には謙信をはじとし、歴代の殿様の廟所が並んである。謙信公はえらい殿様だったが、藩の経済は苦しかった、それを救ったのが第9代の藩主、上杉鷹山である。彼は質素倹約を励行し、自ら率先して絹織物をやめ、木綿を着て贅沢をやめた。実は私は米沢で生まれ育った。彼の言った教訓がある。「為せば成る、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」で、これを翻訳すれば、「一生懸命やれば、何事もできるようになる、できないというのは、やらないからだ」という意味だ。私は幼少時期からこの話は何回も聞かされて育った。そして私は今、「継続は力なり」、という言葉におきかえ、それを私のテーマにしている。なおこの上杉鷹山の言葉は、アメリのケネデイ大統領の知るところになり、一躍、有名になった。

 ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルとガザの戦争が騒いでいるうちに飛行機事故がおきた。羽田空港で、日本航空516便が、着陸した直後に海上保安庁の航空機と衝突し、炎上した。着陸した乗客乗員379人全員が機体の外に避難するまで18分で、奇跡の脱出劇だった。これは添乗員のとっさの判断で、安全な避難窓口を選んだのが素晴らしい判断だった、乗員乗客が全員、無事だったのは過去になかった出来事だった。神は見捨てなかった。またもう一つ、こんな時、突然、能登半島で地震が起きた。道路が分断し地域が孤立し、死亡者多数。避難できない人は、水も電気もないところで、死に直面している。自然はなんと無慈悲なんだろうか。大きな余震は今日も続いている。神よ、もういじわるはやめてほしい。

「成人期てんかんの特色」/大沼 悌一

(この記事は波の会東京都支部のご許可を得て掲載しているものです。無断転載はお断りいたします。)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする